自分の納得できる人生を生きるために(1)

UXリサーチャーになったのが2022年。それから2年以上経って、改めて自分の人生を考えている。

エンジニアからUXリサーチャーになったきっかけが、エンジニアの仕事に対して「つまらないかも?」と「もっと向いてる仕事あるかも?」という考えが同時に浮かんできたことだった。転職してみて、この2つはどちらも当たっていたと思う。つまり、UXリサーチの仕事は、エンジニアリングに比べて、自分にとって「面白い」し「向いていた」のだった。これは単純に良かったことだと思う。

で、今考えているのが、「もっとやっていてしっくりくることがあるのではないか?」という内容で、欲望の限りなさというか「隣の芝は青い、では?」とすら感じはするが、実感としては否みようがない。UXリサーチの仕事はエンジニアリングと比べればはるかに「しっくりくる」のだが、もっと自分の中の歯車と噛み合っている仕事があるような気がしている。

これには、多分他人の人生を見て羨んでいるところもあるのだと思う。SNSを見ていると、いかにも今の仕事がしっくりきていそうなアカウント群が目につく。SNSだからいい面しか見えていないのだ、とは思いつつ、そうなれるような仕事がやはりあるのでは、という気持ちになる。

引いた視点で考えると、置かれた環境を是としやすいタイプと、自分の中のこだわる感覚と実際の環境との間に折り合いをつけづらいタイプがいて、後者である自分はどうなれば良いのか?という問いでもある気がする。そう考えた時に、「自分の人生に納得する」ということが目標の1つになる気がした。

というのは、要はこだわりが明示的でないので、「こうなればOK」という形もまたはっきりしていないからだ。今の自分には「しっくりこない」という感覚しかないし、仮にあるタイミングではっきりしたとしても、人生を進める中でまたわからなくなるだろうと思う。だから、何か目標をはっきりおくよりも、「納得する」という感覚を頼りにし、それ自体を目標にするほうが、自分にとってはいいのではないかと思う。

これは、自分が昔とった戦略に似ている。自分の人生が何をなすべきものなのかまったくわからず、世間的な答えに乗っかろうとも思えず困っていた時、とりあえず自分がしっくりくる選択肢を短期的に取り続けることにしよう、と思ったのだった。これも、具体的な目標を置くのではなく、感覚的な判断基準に依拠しそれ自体を目標にするという点で「納得する」ベースの考え方と同じだ。違う点は、昔の戦略は短期的な選択についてしか適用できないことだった。自分の人生を振り返ると、短期的な「しっくりくる」を積み重ねても、トータルとしての「納得」には必ずしもつながらないのではないかと思えてきている。だから、似たような話ではあるが、新しい尺度で自分の選択を捉える必要が出てきているのではないか、と思う。

ということで、これから、今の自分の仕事に即しつつ、何が納得につながっていくのか考えていきたいと思う。

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